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北投

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芸術文化

芸術や文化に関する催しは、観賞しながらゆったりとくつろぐことができます。公演の内容もすばらしく、美術品を鑑賞したり、動きのある詩詞の吟唱を楽しんだり、時には幕間の出し物として芸妓や酌婦が登場したりと、大勢の人たちが参加していました。一例を挙げてご説明しましょう。1913年に開催された北投大納涼会では、台北の検番に所属する芸妓らも会場に姿を現し、舞台を務めたほか、会場での接客も行いました。

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台北大納涼会 余興の手踊り 台湾日日新報 1962年6月19日

花火

台湾で行われた催しには花火がよく登場しました。花火の美にこだわる日本人は、ただ単に花火を上げるのではなく、特殊な装置を用いて花火を打ち上げました。このほか、納涼会の花火は信号花火としても使われていました。花火の種類は広東仕掛け花火や打ち上げ花火など、50種類ありました。

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台北大納涼会 台湾日日新報 1913年8月1日

活動

日本では初期の映画を「活動写真」と言い、「映画」という名称は1918年になってようやく使われるようになりました。活動写真はとても魅力的で、多くの人々を引きつけました。活動写真は1910年代から1920年代にかけて、台湾の娯楽活動の場では絶えず放映されていました。

スポーツ

日本では初期の映画を「活動写真」と言い、「映画」という名称は1918年になってようやく使われるようになりました。活動写真はとても魅力的で、多くの人々を引きつけました。活動写真は1910年代から1920年代にかけて、台湾の娯楽活動の場では絶えず放映されていました。

や将

心の交流もまた娯楽活動の目的の一つです。盤上の遊戯はその好例でしょう。囲碁や将棋は芸術や易理、謀略、智慧が一体となったもので、参加者の冷静さも試されることになり、当時の参加者にとっては大きな魅力のある大会でした。

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連珠競技大会 台湾日日新報 1962年6月19日

楽の放送(蓄音機)

娯楽の場において音楽はかなりの分量を占めています。日本の伝統的な楽曲はもちろんのこと、西洋音楽もよく演奏される曲目の一つでした。主催者は邦楽と洋楽を取り混ぜ、最新の蓄音機を使って、娯楽活動の余興として音楽を提供しました。

台湾ならではの娯楽

より多くの台湾人が訪れるようにと、台湾ならではの娯楽も会場に登場するようになりました。例えば、布袋戯という人形劇は、台湾の戯曲として初めて娯楽活動の場で上演されるようになった演目です。このほか、1913年に開催された北投納涼会では、舞龍と楽隊の演技も披露されました。1922年には「北投清楽園」という戯班(劇団)の芝居も上演されました。余暇の娯楽活動も日本と台湾の文化が徐々に融合して一つになっていったのがわかります。

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